ヨガをはじめてから「性格が丸くなった」という人は結構いますが、なぜだと思いますか?
誘導にしたがって身体を動かしているだけで、口調や性格まで変わっていくのは、不思議なことです。
かつてはかなりの毒舌キャラだった私が、いつの間にか毒を吐くと気持ち悪くなるほどに変化した理由や、治したい人のための具体的な方法を経験をもとに紹介したいと思います。
1.毒を吐いた後の感覚は、自分にとってあまり快適でないことに気づく
こんな当たり前のことだけれど、気づかないのは、毒舌で的確にうまいこと言ったとき、周りの反応がそれほど悪くないことが多いからだろうと思います。
自分で言うのもなんですが、私は毒を吐いた後、それなりの笑いをとれることもあり、「自分のトーク力で他人を楽しませることができた」というかりそめの満足感で、口にした後の自分の中に生じる後味の悪さを誤魔化していることが少なからずありました。
しかし、ヨガをしていると、口酸っぱく「今ここにいること」「今何を感じているかに注意を向けること」を誘導したりされたりするので、日常生活でも「自分だけが今まさに感じられること」に注意を向けるようになります。
すると「毒を吐く」という行為は、自分にとってそれほど心地よい結果をもたらさないことに気づいてしまったのです。
毒を吐かない快適さに気づくと、毒を吐いたときの不快感もまた大きくなり、笑ってくれた他人からお金をもらえるわけでもないのに、一体何が楽しくてやっているかわからなくなりました。(お金をもらっても今は嫌ですけどね…)
2.安心・安全な場にいたいという自分の気持ちに素直に向き合う
鋭い舌鋒で評価を受けることが多い人は、そのキャラクターを自分の外面用に設定していて、どこに行ってもそういう発言をするように自分でも心がけるようになってしまって、発言の自由さとは裏腹に、無意識のがんじがらめになっていて毒を吐かざるをえなくなっているかもしれません。
しかし、今この記事を読んでいるあなたがそうであるように、親切で優しさにあふれた、安心・安全なコミュニケーションの場を望まない人はいません。そこにいるメンバーが皆が願うならば、必ず安心・安全な空間を作ることができます。
当たり障りのない、綺麗事をならべることや、思っていもいないお世辞や褒め言葉を心がけるよりも、「安心・安全でありたい」と心から願い、そういう場にいる自分がしっかりイメージできれば、その場所で発言する内容は他人を傷つけるほど尖った内容にはなりません。
また「誰かに傷つけられるかもしれない」という恐怖心が残っていると、自分を守るための手段として毒舌にならざるをえなくなる可能性があります。その場合は、恐怖心とも素直に向き合う必要が出てきます。
大事なことは、毒舌を我慢したり、綺麗な言葉を心がけることよりも、
「自分が安心・安全な場所にいること」
「その場所を作る一員として自分が存在していること」
に意識的になることです。
これは何気ない意識の変化と思われるかもしれませんが、意識を研ぎ澄ますことで、今所属している組織や集団との関係すら変えてしまう威力を持っています。まわりから「安心・安全」を自然に感じられない人が減っていき、逆にあなたの毒舌をまったく期待しないような楽な人が寄ってきたりします。
3.良い感じの自分を形状記憶する
毒を吐かない日が増えてきたら、良い感じで過ごせた日をしっかり記憶していくのも有効です。気持ちや身体が楽に過ごせた感覚に意識を向けて瞑想するのも良いですし、手帳を書く習慣のある方は、その感覚をメモしておくのも良いと思います。その記録はきっとこの後もずっと、あなただけがかけることのできる白魔術の本のような力をくれるはずです。
ここまできたら、できない部分や欠けている部分に目を向ける必要は一切なく、気持ちよくできたことだけイメージし、それを広げていくことが肝心です。なぜなら毒舌の仕組み自体が「できない部分に着目する」という特性があり、あなたは今後この習慣を手離そうとしているからです。
自分の中に確かに存在している「いい感じ」の自分に、どんな小さなことでもしっかり着目し、それを感じられる自分を思いっきりチヤホヤして、しっかり褒めてあげればOKです。
そのうちその褒めグセが他人にいつのまにか及んでいて、毒舌から褒め上手へといつのまにやらシフトしている自分に気付くはずです。
ご参考になれば幸いです♪