久々のブログ投稿となります。
私は現在、社会福祉士の養成校で学生生活をしております。福祉系の出身ではないため、カリキュラムには現場実習も含まれており、先日まで24日間、とある施設でお世話になっていました。
その実習の中で、本業がヨガ講師であることを知った職員の方から、瞑想誘導のご依頼を受ける機会がありました。
そこで、毎回、自分のクラスの最後にも行っている“慈悲の瞑想”を選んで、ゆっくりと誘導をしていたときのこと。
参加されていたダウン症の利用者さんが、途中でふわっと立ち上がり、ユラユラと揺れ始めたのです。
でも声を出すわけでも、誰かに迷惑をかけるわけでもなくて、その動きはどこかやわらかく、自分の世界に没入しているように見えました。
そのまま誘導を続けてみたところ、終わったあとにその方が
「すごいスッキリした!」
と笑顔で声をかけてくださったのです。
その瞬間、はっとしました。
私は普段から、瞑想に入りやすい姿勢や呼吸法なんて“人それぞれ”でいいと思っているタイプです。
ひとつの固定化された「正解」に縛られる必要なんてない、と。
でも……実はまだまだ“自分の頭の中の正しさ”に縛られていたのかもしれない、と気づいたのです。
写真のように、
湖に向かい安楽座で静かに呼吸を感じる——
確かにこれはメジャーで、美しい入り方です。
しかし、これが“しっくりくる”日もあれば、まったく入れない日もある。
そもそも座って目を閉じることが落ち着かない人もいる。
だからこそヨガの時間には、
「ハマらない揺れる自分も、そのまま見つめて」
みたいな誘導をすることもあります。
ただ、ユラユラと立ち上がっていたあの利用者さんの姿を思い返すと、
そういうマインドフルネス的なメタ視点すら超えて、もっとシンプルで、もっと素直で、もっと自由でいいのかもしれない……と思えてきます。
ただただ、
その人がありのまま、自分とつながっていること。
その有り難さを改めて受け取ることができた体験でした。
