私の教室ではマスクをしたままのクラス受講は当たり前になっており、少なくともヨガを通して関わる方々、あるいは自分の家族や近い人間関係においては、公共の場所でマスクを外す人、というのはあまり存在しないのですが、カフェやシェアオフィスなどで作業をしていると、ノーマスクで談笑したり、テレカンをする人を見かけることが割とあります。
自分から距離が遠いときは、見て見ぬ振りをしますが、半径1.5m以内にいる場合は話は別です。やっぱり気が気ではなくて、ソワソワしてしまいます。
マスクしない人を観察していていつも思うのは「自分は大丈夫な人間」というアピールにノーマスクが使われている、ということです。自覚があるかはわかりませんが。根拠があろうがなかろうが、そういう「自分は大丈夫な方の人間」という自信がその人をノーマスクという行為に向かわせているわけで。
談笑する二人は「自分たちは大丈夫な人間同士だから、マスクなどつけずに、きちんと口元を見せ、誠実に話し合いましょう」という暗黙の合意をしていたりして。
そこで思い出したのが、先日配信で見たダムタイプの[S/N]のこと。
結構話題になったので、ご覧になった方もいるかと思いますが、その中で、出演者の故・古橋悌二さんの語る内容に、
「本当に愛し合っている2人の間であれば、コンドームをつけなくても大丈夫だと皆思っている」
「HIVは複数の人とワンナイトで遊びまくっている人や、同性愛者、外国人だけが罹る病気だと思っている日本人が多い」
「自分が感染したときは、一人だけ、そのときは本当にお互いに相手ひとりだけ、と愛し合っていた恋人との、たった一度の行為で感染した」
というものがありました。
また、それを受けて、もうひとりの出演者のピーター・ゴライトリーさんは、
「日本人の友人から、外国人との行為は危険だと思うけれど、ピーターは日本語が上手で、まるで日本人のようだからOKと言われた」
と応答しています。
つまり、相手への親密さ、愛情の深さを示す行為として「コンドームをつけない」という選択をする浅はかさを表現しているわけです。
当然、[S/N]では、そういった浅はかさに一定の理解を示しつつも、本当の愛情や、そこに発生するコミュニケーションの深度は、コンドームのありなしで量れるものではない、という一貫した主張で進行していくわけですが。。。
これ、HIVをコロナに、コンドームをマスクに置き換えれば、完全に現在の話になりますよね。
なぜ、ソフト化もされず、幻の作品と言われつづけていた[S/N]を、このコロナ禍で配信したか、という理由のひとつは、まあそういうことだろうと思います。
こんな世の中になった以上は、マスクをしていたって、ソーシャルディスタンスをとっていたって、伝わるようなコミュニケーションを作り出さなきゃいけないんですよ、私たちは。。。
しかし、いくら意義深い作品が配信されていたからといって、私がイラッとしたあのノーマスクな人たちがこの作品を見ていたり、こういったことを感じている可能性はほぼゼロに等しく、どうにかしなくてはならない現実。
ヨガ的に対応するならば、無言で彼らに慈悲の瞑想を送る、とかなのでしょうが、今すぐ、自分はとにかく感染のリスクを減らしたい!!!あの人達の愛情表現など知ったことか!!!となったとき、私が現時点でやっていることを以下に書いておきます。ご参考になれば幸いです。
優先順位1位 店の人に注意してもらう
優先順位2位 「マスクをつけましょう」みたいな張り紙やPOPがおいてある場合は、それを無言で指差して気づいてもらう
優先順位3位 場所を移動する
3位の「場所を移動する」というのが一番穏便ではありますが、一番腹の虫がおさまらないので、そういうときは慈悲の瞑想を送るようにしています。
私を押しのけてまでノーマスクを優先させるなんて許せない!!!一刻も早く深刻なバチがあたってくれ!!!コロナ罹って重症化してくれ!!!とか思っていると、脳は怒りの対象を認識できないので、自分に呪いをかけることになってしまいます。
本当にムカついているときに、彼らの幸せなんて祈ることはできなくて当然ですから
ノーマスクの危ない奴らに移動させられたかわいそうな私の心の傷が、早く癒えますように!場所を譲ってあげた優しい私は、健康に生き延びて、あふれんばかりの幸せなご褒美がありますように!
ついでにノーマスクのあいつらも無事生き延びればいいかな…まあ、適度に…
くらいが限界ではあります。でも、それがその時の自分の精一杯ならば、それで良いのだと思います。
せめて私達は、健康に生き延びましょうね!またみんなで一緒にワイワイ楽しくヨガできる日を夢見つつ。