あまりネットの炎上案件には踏み込まないようにしているのですが、自分が現在母親という属性だというのもあり「あたしおかあさんだから」の歌詞についての議論はなんだか心のざわつきを抑えきれず、つい乗っかって書いてみたくなってしまいました。
もう話題の旬は過ぎているかもしれませんが…笑
本家の歌詞はこちらからどうぞ。
では、早速便乗して「あたしヨギーニだから」に置き換えてみます。
太ってたのよ ヨガをする前
首を痛めたり 腰を痛めたり
考えるのはダイエットのことばかり
あたし ヨギーニだから
毎朝太陽礼拝するの
あたし ヨギーニだから
野菜しか食べないの
あたし ヨギーニだから
サンスクリット語のマントラ覚えるの
あたし ヨギーニだから
あたしよりヨガのことばかり
あたし ヨギーニだから
あたし ヨギーニだから
これを読んで、共感するヨガ愛好者は皆無だと思います。
なぜなら「ヨギーニだから」じゃなくて、
「自分のためにやってることだから!」です。
あたしよりヨガのことばかり…とか、本末転倒もよいところです。
本当にヨガが人生にとって大切だと知っているから、誰に褒められなくたって、究極のところ、自己満足でヨガを深め続ける努力をし続けられるのが、ヨギ・ヨギーニという人たちですよね。
だから、この歌詞のパロディのように
「こんなに頑張ってるの!ヨギーニってすごいでしょう?」
って言いかたにはどうしたってならないわけです。
好きでやってることを褒められればそれはそれで嬉しいですが、褒められないからといって、どうってことはないし、やめたいとも思いません、当然です。
私の場合は、母親業にまつわるあれこれもまた、
「おかあさんだから」ではなく
「自分が好きでやってるから」
という理由で、本家の歌詞に違和感を覚えました。
所詮自己満足でやってる育児について、どんなに結婚前の生活とのギャップがあろうとも、他人に内容を偉そうに自慢する気になんて到底なれないわけで。
だから、私が母親業をしていることについて、
「婚前には考えられなかった姿だねえ!」
と驚かれたり褒められたりすることもあるにはあるけれど、
「あはは、そうだねえ!」と
一緒に笑って以上終了、の笑い話で済んでしまいます。
本家「あたしおかあさんだから」の歌詞には
「あはは、そうだねえ!」にならない深刻さを、感じます。
「…それ ぜーんぶやめて いま あたしおかあさん」
と口では言っていながらも、
「あたしの人生、こんなハズじゃなかった!
我が子はかわいいし、虐待とかマズイから
なんとか頑張ってるけど、実は全然満足できてない!
あ〜本当は子どもなんてほっといて、
ネイル行って夜遊びしたい!!!」
って本音が透けて見えるからでしょうか。
「うわ、何がそう思わせたんだろう、、、」
という心配とお節介な気持ちが、心のざわつきへと繋がっていきます。
もしリアルにそういうタイプのママ友がいたら、、、!?
うーん、私はたぶん自分のヨガクラスに誘ってしまうかもしれませんね。
そして「知足(santosha)」について話したりしてしまうかもしれません笑
現在、私は自ら望んで、ヨガ講師と母親業とIT業の三足のわらじを履いた生活をしているのですが「所詮、自己満足」でやれることしか、やらないようにして、バランスを保っています。
これを
「褒められるためにやる」
「褒められたら頑張りまくる」
「褒めてもらえないと苦しい」
…というモチベーションでやりはじめると、
途端に
「あたしヨガ講師だから」
「あたしおかあさんだから」
「あたしITドカタだから」
…という世界に引きずり込まれて、ものすごく苦しくなるように思います。
私の「所詮、自己満足」レベルが私の周りを穏やかに健やかにしてくれて、たまに褒められることだってあるのだから、それで十分だし、幸せなんですよね。
もしあなたが、やりたいことをやっているはずなのに、なんだか苦しくなってしまった時は、その努力が「所詮、自己満足」の範疇を超えてないかを、チェックしてみるとよいかもしれません。